梅沢 義勝(うめざわ よしかつ、1959年4月25日 - )は、茨城県筑西市(旧下館市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
鬼怒商では1977年夏の甲子園県予選準々決勝に進出。大野久のいた取手二高と対戦するが、延長18回引き分け再試合の末に敗退した。
同年のドラフト2位でロッテ入団。堀内二世といわれる正統な本格派として評判だった。重い球質のストレートが武器、カーブ、シュート、スライダーを軸に中継ぎ投手として活躍。ロングリリーフを中心に起用され、1981年には倉持明とともにストッパーを務め、前期は防御率トップとなる。同年は130イニングを投げ規定投球回(6位、防御率3.25)に到達、7勝8セーブを記録した。その後も中継ぎとして起用されるが、1987年にロッテを自由契約になりヤクルトに移籍。ここでは活躍の場に恵まれず、1988年限りで現役引退。
現在は会社員の傍ら、野田リトルシニアの監督を務める。
詳細情報
年度別投手成績
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 初登板:1979年9月2日、対南海ホークス後期9回戦(川崎球場)、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に山下慶徳から
- 初勝利:1980年8月14日、対西武ライオンズ後期3回戦(西武ライオンズ球場)、6回裏1死に3番手で救援登板、3回1/3を無失点
- 初先発:1980年9月5日、対阪急ブレーブス後期8回戦(阪急西宮球場)、5回1/3を5失点
- 初セーブ:1981年4月28日、対阪急ブレーブス前期4回戦(阪急西宮球場)、7回裏無死に2番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発勝利:1982年6月7日、対近鉄バファローズ前期12回戦(日生球場)、8回0/3を4失点
背番号
- 37 (1978年 - 1987年)
- 13 (1988年)
脚注
関連項目
- 茨城県出身の人物一覧
- 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 梅沢義勝 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)




