木曾 中太(きそ ちゅうた、生没年不詳)は、平安時代末期の武家。正六位下・右馬少允を務めた中原兼経の子とする資料がある。中原氏の長男を号した。
兄弟に木曾中三(中原兼遠)と中原兼保がいるとする説がある。
出自
木曾の中原氏は同地に根を張った豪族。父の兼経は朝廷で正六位下・右馬少允に叙任された後、信濃国佐久郡に移住し牧長を務めたとされる。
経歴
信濃国木曾地方に本拠を置く豪族。平安時代末期に保元の乱で源義朝・源為朝に従軍している。
伝承
中太の名前は兼氏であるとする伝承がある。 また、奈良井宿の鎮神社の伝承によれば、近衛天皇の頃に「中原権頭兼氏」という徳の厚い人が奈良井におり、村人に尊敬されていた。その人の死後、村人はその徳をしのび、社を今の鳥居峠に建て、のちに遷座したのが鎮神社であるという。
脚注
参考文献
- 太田亮「中原 ナカハラ」『姓氏家系大辞典』 3巻、上田萬年、三上参次監修、姓氏家系大辞典刊行会、1936年、4251-4257頁。全国書誌番号:47004572。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1131019/91。



