イカノポリス計画(-けいかく)とは、かつて北海道中小企業家同友会函館支部が考案・実行したイカを活用した函館のまちづくり構想である。
活動中や終了後の影響ついても記述する。
概要
1988年(昭和63年)、青函トンネル開業に伴い青函連絡船が廃止され、函館にとっては変革の年となったが今後のまちづくりに課題があった。元々イカ加工(水産加工)が盛んだったこともあり、地元中小企業の経営者達は国による函館地域のテクノポリス(高度技術集積都市)指定(1984年〈昭和59年〉)にもじってイカノポリス計画と称して、イカを活用したまちづくりを考え、実行した。
活動期間は1987年(昭和62年)から1990年(平成2年)。函館支部設立15周年記念事業として始めた。
構想終了後、昆布に着目し、1998年(平成10年)函館昆布研究会を設立。ガゴメ昆布を発掘、広めることができた。
活動内容
函館朝市にある説明ボード「イカノポリス計画の概要と商品開発」によると
- PRイベントの開催 - イカ料理祭の開催。のちにはこだてフードフェスタへ発展
- イカ専門書の作成
- 函館市の魚にイカを選定するよう要望 - 1989年(平成元年)8月1日に制定される。
- マスコットキャラクター「キュッキュ」の制作と貸出
- 路面電車への車体広告出稿
- 新商品開発(イカ液晶はし置きなど)
が予定されていた。
影響
イカソーメンや活イカの刺身を提供する料理店が増加し、水産食品加工の二次産業と観光の三次産業が結ついた。さらに函館市を中心に地域街づくりへの影響が大きい公共性の高い企業や団体、地元中小企業、趣味の愛好家達が地域おこしとしてイカをテーマにした街づくり活動をした。
しかし、北海道渡島総合振興局によると2018年(平成30年)温暖化によりイカの漁獲量がブリに逆転され、見直しの動きがみられる。
- 初期
- 1986年(昭和61年) - 市長が柴田彰から木戸浦隆一へ
- 1987年(昭和62年) - 構想開始
- 1988年(昭和63年) - 自治省「ふるさと創生事業」
- 1989年(平成元年) - 函館市水道局が西部地区の元町公園の公共下水道マンホールにイカのデザインマンホール蓋を設置
- 1990年(平成2年) - 構想終了
- 1992年(平成4年) - 函館市交通局が乗車カードの名称「イカすカード」と初期の5,000円カードの図柄
- 1993年(平成5年) - 函館市がふるさと創生事業交付金でイカモニュメント制作設置
- 1997年(平成9年) - 和菓子店のはこだて柳屋が店舗ディスプレイ用として「いかようかん」を制作。のちに商品化。
- 1999年(平成11年) - 市長が木戸浦隆一から井上博司へ
- ミレニアム期
- 2004年(平成16年)4月 - JR北海道が函館駅駅舎の多目的広場が「イカすホール」と命名され開設される。2015年(平成27年)10月閉鎖
- 2005年(平成17年) - 公立はこだて未来大学が学生の学習課題と観光振興を目的としてイカ型ロボット「IKABO」を制作し始める
- 2007年(平成19年)
- 市長が井上博司から西尾正範へ
- ディスプレイ業の東邦商事が函館朝市えきに市場にイカ液晶を表面に塗装したイカモニュメントを寄贈
- 2008年(平成20年) - 函館市が地元民間企業に依頼して観光振興を目的として「ハコダテ観光ガイド イカール星人襲来中」を制作
- 東日本大震災復興期
- 2011年(平成23年) - 市長が西尾正範から工藤壽樹へ
- 2013年(平成25年) - 特撮愛好家グループがご当地ヒーロー「函館鮮士イカダベッサー」を制作
- 2014年(平成26年) - はこだてティーエムオーによりグリーンプラザにて第1回函館いか祭りが開催される
- 2017年(平成29年)3月 - 函館市企業局交通部・函館バスが導入したIC乗車カードの名称がイカをもじって「ICAS nimoca」と命名
- 魚種交代期
- 2020年(令和2年) - 魚種交代を受け、ブリたれカツが登場
- 2023年(令和5年)
- 「函館鮮士イカダベッサー」にブリをモチーフにしたブリモアールが新たに加わる。
- 市長が工藤壽樹から大泉潤へ
参考までにいか踊りは構想前の1981年(昭和56年)に考案された。
脚注
関連項目
- ふるさと創生事業
- 木戸浦隆一 - 期間中在任だった函館市長。
- 函館西部地区の町並み




