多田 通(ただ とおる、1857年(安政4年5月) - 1910年(明治40年)5月2日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
長崎県出身。藩校で学ぶ。金城中学校を創立し、子弟教育に尽力した。のち、朝鮮平壌で果樹園を経営した。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において長崎6区から国民協会公認で立候補して当選した。続く同年8月の第6回衆議院議員総選挙で再選した。衆議院議員を2期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1910年死去。
脚注
参考文献
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



