斉藤 博美(さいとう ひろみ、1952年3月30日 - )は、千葉県出身の元騎手。

来歴

1975年3月1日の阪神障害ステークス(春)・フジチャイナ(8頭中7着)で初騎乗、3月16日の阪神第4競走障害5歳以上未勝利・ミチハルで初勝利を果たす 。1年目の同年、2年目の1976年は共に4勝をマーク。

3年目の1977年には1月22日の京都第2競走4歳未勝利・フェートマーシャルで平地初勝利、9月24日の阪神では初の1日2勝を挙げるなど初の2桁となる12勝をマークし、1978年には自己最多の13勝で2年連続2桁勝利を記録。

1979年の毎日杯ではハクヨーカツヒデに騎乗するが、各馬が一団となって4コーナーを回った時に落馬。馬群の後方にいたマリージョーイ騎乗の福永洋一は斉藤を避けるため咄嗟に手綱を左(外側)に引いたところ、斉藤の体が外側に転がってきた。驚いたマリージョーイが跳び越えようとするが、足がひっかかり、もんどりうって一回転し、福永は馬場に叩き付けられた。

1980年6月7日の中京第11競走東海ステークスでは9頭中9番人気のハクヨーカツヒデでヤマニンスキーを抑えて勝利し、枠連13170円の波乱を演出。

1982年には4年ぶりの2桁勝利となる11勝をマークし、1983年には1月開催となった京都牝馬特別をトーアミステリアスで制し重賞初勝利を挙げ、第1回サファイヤステークスではサンエイホープで桜花賞馬シャダイソフィアの3着に入った。

1985年7月6日・7日の札幌で初の2日連続勝利を挙げ、1987年6月13日の札幌第4競走3歳新馬・セキノスピードで通算100勝を達成。

1988年にはタッチアンドエースで小倉3歳ステークス3着に入り、10月8日の京都第9競走黄菊賞ではムービースターに大差を付けて逃げ切った。

1989年には7年ぶりで最後の2桁勝利となる12勝をマークしたほか、1993年にはサンエイホープを母に持つリードワンダー産駒ヒデノリードでブリーダーズゴールドカップを7馬身差圧勝 。

1996年にはシンザン記念をトーヨーロータスで逃げてゼネラリスト・ロゼカラーに次ぐ5着に粘り、1997年3月15日の阪神第7競走4歳以上500万下・カルストングローリで最後の勝利を挙げた。

1997年4月6日の阪神第11競走4歳以上900万下・カルストングローリ(16頭中5着)を最後に騎乗が無くなり、1998年2月28日付で現役を引退。

騎手成績

主な騎乗馬

斜体は地方交流競走。

  • トーアミステリアス(1983年京都牝馬特別)
  • ヒデノリード(1993年ブリーダーズゴールドカップ

脚注


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