百済王 貞連(くだらのこにきし さだつら / ていれん)は、平安時代中期の貴族。平将門の乱の遠因をつくったことで知られる。
経歴
延元元年(923年)には内舎人として名が見える。
承平9年(939年)5月には武蔵守として武蔵国に下向した(なお、類聚符宣抄第八には「前上総介・従五位下」と記されているため、923年から939年の間に上総介を拝任し、従五位下に叙されたことがわかる)。しかし、貞連は武蔵権守・興世王と不仲で、貞連は興世王を国庁の会議に全く列席させなかったため、興世王は任地を離れて下総国の平将門のもとに身を寄せた。これが平将門の乱の遠因となった。
補注
注釈
出典
関連項目
- 将門記




